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雲雀丘の戦後接収でおわび、それにしても昔のことを謝られるムズがゆさ

2007年10月14日 | 地元と地域 | del.icio.usに追加 | はてなブックマークに追加 | livedoorクリップに追加

平穏な住宅地であるわが地元・雲雀丘にしてはちょっと珍しいニュース。

広島市内に住むニーナ・ロスさん(61)。一九四八年、米軍の指揮官だった父とともに一家で来日し、二-六歳までの四年間、現在の宝塚市雲雀丘二で暮らした。同市の資料によると、付近では戦後、少なくとも三十二戸の住宅が接収された。幼かったニーナさんは、自分たちが住んだ住宅が日本人の所有だったとは知らなかったが、後に両親から事情を聞き「いつかおわびを」と思うようになった。

転載元:「戦後接収のおわびを」米国人女性が宝塚に

へぇ、戦後の雲雀丘でそんなことがあったんですねぇ。ちなみに2丁目は雲雀丘の中でも古くて大きなお屋敷が立ち並ぶ地域。かつてニーナさんが住んでいた家は残念ながら駐車場になってしまっていたそうですが、それでも仲が良かったというお隣さんとの再開を果たしたとのこと。

ニーナさんは「再会できてうれしい半面、心苦しい面もある。日本人の住まいを奪ったことを、両親はずっと気にしていた。ここに住んでいた米国人を代表しておわびしたい」と話した。

僕は1973年生まれなので言うまでもなく戦争の「せ」の字も知らないわけですが、いちおう謝られる側の国の立場に立った時、なんていうかものすごくムズがゆい感じがします。だってね、「それって何年前の話よ」っていうw こんなふうに書くと僕自身の“理解”の部分でいろいろつっこまれそうですが、そういうことではなく、ただ単純な話として昔のことで謝られるのってなんかムズがゆいなぁと……って、これってもしかして謝られ慣れてないってこと?

ごめんなさい (げんきえほん)
いもと ようこ
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