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形見としてのパソコン

2008年04月26日 | | del.icio.usに追加 | はてなブックマークに追加 | livedoorクリップに追加

実は先日仙台に住む叔母さんがガンで亡くなりまして、その形見として彼女のPCを引き取りました。

子供の頃は田舎帰ったりしていろいろよくしてもらったんですが、ここ数年は電話で声を聞く程度で会うこともなく、そんな感じでお葬式にも行きませんでした。で、そのかわりといってはなんですけどPCをもらったという感じです。

僕のところに届いたPCはまだ彼女が生前使っていたままの状態で、いちおう何か大切なものが入っていてはいってないかと少しだけ中身を見たんですが、ブラウザの履歴が残っていたり、メーラーに書きかけのメールが残っていたり、なんというかかなり複雑な想いになりました。とりあえずアカウントを削除し、ハードウェアの名前なんかも変更して、今ではすっかり新しい持ち主のものとして動いていますが、うーん、なんだろうなー、この妙な重さ。いや、もちろん気持ちの上で。

「死ぬときはHDDを初期化して」みたいな笑い話もありますけど、ちょっと真剣に考えてしまいましたね。僕が死んだら僕の3台のMacと外付けHDDの中に入ってるデータはどうなるんだろう? っていうか、このブログや、Flickrや、Tumblrや、Twitterや、mixiや、その他いろんなところに散在している僕の形跡はどうなっていくんだろう……。

選択肢としてはいろいろあると思うんですが、個人的には100年くらいはお墓代わりとして残しておいてほしいもんです。だって跡形もなく消えてしまうのは、なんだかんだ言っても寂し過ぎるし。

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