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小沢健二&エリザベス・コール「おばさんたちが案内する未来の世界」を見に行った・その2

2007年12月11日 | | del.icio.usに追加 | はてなブックマークに追加 | livedoorクリップに追加

前半のレポートはこちら

前回に引き続き大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室で行われた「映画『おばさんたちが案内する未来の世界』を見る集い」の報告、第二弾。

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日 時:12月8日(土)・9日(日) 各日13時30分〜18時
会 場:大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室
定 員:60名程度/回(応募多数の場合は抽選)
参加費:無料
主 催:大阪市立近代美術館建設準備室
企 画:remo / 特定非営利活動法人 記録と表現とメディアのための組織

映像作家のエリザベス・コールと小沢健二がラテンアメリカの生活を独特の視線で捉えた映像の上映会(本人らによる朗読とロンロコ(ボリビアの楽器)の演奏付)及び参加型のトークセッション。既存のテレビや映画にはない、ゆったりとした時間の流れと双方向性を、大き過ぎない親密な空間で体感。映像は3部作となっており、休憩を挟み上映。

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とりたてた開始のアナウンスもないまま、小沢健二とエリザベス・コールの登場で第三部はスタートしました。おそらく南米の民族衣装であろう帽子をかぶっていた2人はステージ奥のトビラから現れ、そして客席と向かい合うようにおかれた椅子に。その間、参加者はようやく目にした彼らの様子や表情をじっと見ているようでした(1部と2部は会場が暗くて見えませんでした)。そしてマイクを持った小沢氏が一言。

「どなたかだれか、思い出したことなどありましたら聞かせてください。なるべく自分の暮らしの中で思い出したことを」

沈黙……質疑応答の最初によくある沈黙。もしかすると質疑応答かと思っていたのにいきなり「思い出したことを」とか言われて困ってしまった人も中にはいたのかもしれません。とにかく少し居心地の悪い沈黙の後、客席からポツポツと手が上がります。発言しているのはだいたい20代半ば〜30代前半くらいの人。で、その内容はおおよそこんな感じ。

「大切なことを見失っていたと気づかされました」
「生かされるんじゃなく自分で生きることが大切だと思います」
「豊かさのために誰かの命をもぎとっちゃいけない」
「自分の田舎にもスターバックスができた。とても哀しい」
「人は動物から学ぶべきだと思います」……

な、なに、この真っすぐさ。そしてもうたまらなく淡い。具体性なんてない。ただただ真っすぐで、耳障りが良くて、人にも地球にも自分にも優しい言葉、それとも映画の中の固有名詞が並ぶだけ。誰に何を伝えたいのかもよくわからない。それに対して小沢健二はウンウンとうなずいてる。コメントに対しては聞くだけ聞いて半分はスルー。そしてエリザベス・コールはたまに発言との繋がりがよくわからないエピソードを紹介。そしてそんな淡い発言にときどき起こる謎の拍手……え、えぇぇ!

いや、僕は別に彼らの真っすぐさを否定しているわけではないんです。いまだに小沢健二の音楽が好きで小沢健二に会いたいという一心でこのイベントに参加した人ならある意味そういう反応も当たり前だと思うし、またそういう人たちがそれなりに集まっていることを考えるとあの場の空気もしかたないのかもしれません。僕だって彼の音楽はいまだに好きだし、いつだって僕のiPodには彼の曲が入ってます。ただ、それでもやっぱりあの空気は個人的にはキツい。言いたかないけど自己啓発ですよ。そして、こういう空気を優しく作り出し、受け入れるというカタチで助長しているのは、まぎれもなく小沢健二とエリザベス・コールだという事実……。

このままじゃさすがにちょとなぁ。そう思った僕は、場違い承知で、ちょっと意地悪な発言をしてみました。あくまでも「思い出したこと」の範囲内で。内容的には「コンピュータゲームで育った世代にとってネットやパソコンは土よりもはるかに皮膚感覚に近いもので、たとえそれを使う上でバランスが求められたとしても、灰色と戦う時には当然それを武器せざるをえない。だからこそ自分はこれまでiPodもMacもたくさん持ってるし、ブログもやっている」というようなこと。ま、うまく言えたかどうかはわかんないですけど。

結果は予想通りのスルー、右から左へきれいに流されましたw。それでもちょっとは会場の空気が替わればいいなと思ってたんですが、それも無理でした。やっぱり続く淡いトークの数々。地元の海がきれいでそれを守りたい、地域でボランティアをした、子供はやっぱり母乳で育てて……はぁ、まぁそうなんですよ。誰もなんにも間違ったことなんか言ってない。間違ってなんかいないんだけど、それだけじゃやっぱ“灰色”になんて勝てないんですよ。そんなこと「うさぎ!」を読めば、書いてはないけど、よくわかる。

ま、個人的な解釈についてはまた別エントリーで書くとしましょう。

小沢健二とエリザベス・コールの発言で気になったのは2つ。ひとつめは、ヒューマニスティック心理学と呼ばれるものがどうやって人々が持つ希望を小さくさせてきたかという話で、その実例として挙げられたのがNPOというシステム。社会を変えたいと積極的に考えている人たちに半公的(?)な組織を運営させることによって柔らかな監視の元におくこと、それこそが本当のNPOの役割だということ。これに関してはピーター・ドラッカーが「非営利組織の経営――原理と実践」という著書の中で書いているそうです。これはかなり凄い話。やるな、灰色。もうひとつは灰色が人々に「疑う種」を植え付けようとしているという話で、こっちの実例はニューヨークタイムスの南米に関する報道。そしてそういう新聞を積極的に読むようないわゆるい高学歴の人たちのなかにある、疑うこと/批判することがカッコいいとされるような価値観。エリザベス・コール曰く、どうしてそんなにも疑ってかからなければいけないのか、純粋に心を動かしては行けないのか、ほんとうにうんざりするとのこと。うーん、でもさぁ、それはあなたが言っちゃあダメなことなんじゃないのかなぁ。それともまさかそれがあなたのシニカルな良心のあらわし方なんですか?

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さすがに長文で疲れてきたので、ちょっと尻切れとんぼですがこれくらいで勘弁してください。ま、感じとしてはだいたいこんなふうです。正直聞きたいことはもっともっとあったけど、ぶっちゃけ空気に負けましたw。とにかく本当にいろんな受け取り方ができる第三部だったので、そのあたりはもう少し整理してから書くつもりです。興味のある方はまた読んでください。

それとこれは本当にお願いしますけど、どうかこの文章を読んで「そっか、やっぱそっち系なんだ」とか安易に判断しないでください。気になった人はまたどっかで上映会あるでしょうから、実際に自分の目で、耳で、頭で、確かめて来てください。ここに書いたのはあくまでも僕個人の感想です。そして前半で書いた通り、映画「おばさんたちが案内する未来の世界」はそれ自体作品として本当に良く出来ていて、その内容に関しても大筋のところで共感できます。そしてこんな灰色なご時世にあんな作品を作ったエリザベス・コールと小沢健二の中に僕も一瞬“光”を見たんですね。ただ、だからこそ第三部はいろんな意味で残念でした。ま、それも含めていろいろと味わい深い1日でしたけども。

最後に、小沢さん、エリザベスさんへ。あなたたちから見れば僕はすっかり灰色にやられちゃってるように見えるんでしょうね。でも、応援してますよ。

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