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個展「言葉のある風景:應典院」における作品の《紛失》について

2006年10月25日 | 岩淵拓郎の仕事 | del.icio.usに追加 | はてなブックマークに追加 | livedoorクリップに追加

現在開催中の展覧会「言葉のある風景:應典院」で展示している作品が一部紛失しました。紛失したのは下記の作品です。

「発想記号のための練習曲 No.1〜4」
・発想記号のための練習曲 No.2
・発想記号のための練習曲 No.3

「Calendor series "ONEDAY"」
・ゴミ箱部分

あえて《紛失》と書いたのは、その内容がおそらく《盗難》と《破棄》の可能性が考えられるためです。具体的には「発想記号の〜」の紛失はおそらく《盗難》であり、持ち帰った人に悪意があったにせよ無かったにせよ、展示状況から考えて《盗難》であるとして問題ないかと思います。また「Calendor〜」の紛失は、おそらくその展示形態から考えて《破棄》だと想像されます。誰かが作品だと気付かずに捨ててしまったのだと思います。

どちらも紙を素材としたマルチプルな作品なので、一見するとテイクフリーだと受け取られることもあるでしょうし、また最悪の場合は作品だと気付かない可能性もあるものだと、作者である僕自身思います。また会場がギャラリーやミュージアムではなく、お寺(これはこれでまた違う重みもあるとは思うんですが)の中にあるパブリックスペースであるという点も原因としてはあったと思います。ただそういった状況も考慮した上でも、作品の一部を持ち帰ったり捨ててしまった人はずいぶんと無神経だなとは正直思います。

私自身はこの件に関して、責任の所在を追求したり、ここぞとばかり作家の権利を主張したりして、問題を大きくする気はありません。作家自身がこういう事を言うべきではないのかもしれませんが、アートなんてそれがアートであることを気付いてもらわなければなんの価値もありません。そのために美術館やギャラリーのような白くて大きな壁、もしくは明らかに市場価値とは分離した価格、といったある種の後ろ盾を用意する方法もあります。しかし作家は、何より作品としての強度を、アウトプットの方法も含めて、強くしていかなければならないのだと思いますし、今回の一件を僕はそのような問題であると理解することにしました。

ただし、もし僕の作品を実際に捨てたりもって帰ったりしてしまった人が偶然にもこのエントリーを読んだら、その時はとりあえず連絡してきてひとこと詫び入れにきてください。で、可能ならば作品を返却してください。

作家にとって作品とは貴方が思っている以上に大事なものなのです。

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