CoMMU column#003

岡田和之「Macと私」

私が個人的にパソコンを購入して使い始めたのは、1986年のことだった。当時は学生の身で、卒業研究のために必要だったこともあるが、それより当時流行り始めたパソコン通信の通信手段として使いたかったからに他ならない。もちろん、すでにMacは存在していたが、苦学生の私は店頭で眺めるが関の山だった。

ご多分に漏れず、PC-9801シリーズを購入した私は、OSとしてMS-DOSからパソコンとの付き合いをスタートさせた。当時から、私にとってハードよりもOSの出来不出来が重要だったのだが、それはパソコンとしての使い勝手を大きく左右する存在だったからだ。
数年後、中規模ソフトハウスに就職した私は、上司の理解も得て社内の情報機器としてMacを導入した。当時としては珍しかったGUI操作を基本とし、ネットワーク機能を標準で備えていたMacは、社内の開発環境を一新させるほどのインパクトがあったが、残念ながら低価格PCとその後のWindowsに取って代わられたのは、今も残念でならない。

Macを導入させた張本人の私も、仕事で使ううちに虜になり、ボーナスをはたいてLCを購入し、名実ともにMacユーザーの仲間入りを果たした。その後、Windows 95の登場より幾度となく浮気を繰り返したが、結局はMacに戻った。なぜなら、Windowsの操作性の悪さにストレスがたまり、病気を再燃させて入院騒ぎを起こすからだ。私にとって、OSの操作性ほど重要なことはないことの証である。

しかし、そのMacもMac OS Xの登場によって操作性に大きな変化が訪れた。直感的な操作性が売りだったFinderが、まるでWindowsのExplolerみたいになってしまったのだ。それでも未だにMacを使い続けているのは、他にも何か理由があるに違いない。それを突き詰めたり、Mac OS Xの将来を考えることも、私にとって大切なことなのだ。もちろん、Windowsと比較してOSの優劣を競うのではなく、Mac OSを超えるOSを考えてみることも大事だと思うのだ。


(2003/9/23)

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